Dr.福島 2Dr.福島 2 2004年6月初旬 Dr.福島の日本でのお手伝いをされている、I 氏から連絡があり、 7月20日以降に福島先生来日の予定があるので、その時までに、 私の、MRIフィルムなどの資料を送って欲しい。 意見を差し上げる事が可能です。とのことでした。 私はそんなことを、お願いした覚えはなかったのですが、 TVで見た人と、コンタクトをとってみたいという、 ほんの面白半分のふざけたヤジウマ根性でした。 そしてその時は、実際に、Dr.福島に会う事になるとは、思ってませんでした。 さて、困ったのは、myドクターに、どうやって資料をつくっていただくかです。 3月の再発の時には、myドクターのほうから、 「 セカンドオピニオンにも、相談してください 」 と言われて、 「 そんなのいやです。私の先生は、貴方だけです。貴方におまかせします。」 と言ったのに。 で、その時は、先生のほうから、 「 では私が、2、3相談してきましょう。」 となったのでした。 なのに、なのに、、、、ここで、こんなヤジウマ根性、、おーかっこ悪い! しかし、この自分の、面白いもの見たさには、負けたのでした(笑) myドクターのところに、I 氏からのメールをプリントして、持って行きました。 myドクターはDr.福島を個人的に、ご存知でした。 私はそのことを、そこで初めて知りました。 昔は一緒に仕事をされてた事もあったそうです。 そして、私が納得のいくようにでしょうね、 たくさんの資料を用意してくださり、 Dr.福島への、手紙までつけてくださってました。 これには、本当に頭が下がりました。 7月22日 いきなり自宅にDr福島から電話が入りました。 日本に着いたばかりで、移動中に携帯からのようです。 「 今、貴女のフィルムを見てる・・・・なんで、もっと前に連絡くれなかったの?」 ( だって、あなたなんて、しらなかったもん。っていうか、 病気もどんなものなのか知らないよ、そのころは ) 「 どこで、ガンマナイフやったの?」 ( どこでってね、あなたの知ったことではないよ。 私は、私の信頼なる最高のガンマ先生がついてるんだからね、 なんか、むかつく~~ ) 「 とにかくね、貴女の近くの、病院ね、月曜日に行くから、そこで、MRI撮って待ってて。」 すごい勢い、すっげ~~~~~~~ 私の資料を先に送る時に、連絡・ご意見は直接myドクターにお願いしますと、 I 氏にお願いし、I 氏からも、申し伝えましたとの、 返事はもらってあったんだけれど、Dr.福島の時間がないのでしょう。 その日は、木曜日の午後で、myドクターとももう連絡はとれません。 翌日の朝もmyドクターと連絡とれずに考えてましたが、 もし連絡がとれたとしても、ドクターを困らせるだけだと思い、 Dr.福島が来るようにと言っていた、病院に電話をしてみたら、 ちゃんと私のMRIの予約が入ってました。 Dr.福島が入れておくと言ってたのでした。 まるで、機関銃をいっぱい打ちながら走ってる装甲車のようなおっさんです。 7月26日 Dr.福島の指定した病院は隣の県です。 娘の運転で、高速を飛ばして行きました。 行ってみたら、当日は患者が、関西や東北からも来ています。 Dr.福島の診察を受けるために。 うん、うん、TVで、見たとおりだわね。 そのわりに、病院は簡素。(そんな事は、どうだっていいか。) Dr.福島の指示どうりに、脳のMRI、造影剤ありと、なしで撮って待っていました。 何人もの手術を手がけながら、手術室から出てきて、 私達のような、診察だけの患者を診ます。 これができるのは、お手伝のために、優秀な脳外科医スタッフが、 全国から呼ばれているから、できるのだと思います。 私の番になって、呼ばれました。 前の晩は良く眠れませんでした。いくら気の強い私でも、 先日のDr.福島の電話には、「はいはい、よろしく」しか言えないほど、 福島先生は、勢いがいいのですから、 ああしなさい、こうしなさいと言われたら、なんと言って、お断りするかと、 そればかりを考えていました。 「 断りの方法 」 それしか、頭の中にはなかったのです。 前のページはここをクリック |